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国史跡・弥勒寺跡と官衙遺跡
弥勒寺跡は、金堂・塔・講堂 ・南門・南門に取り付く掘立柱塀の一部・僧坊や、造営に関わる工房跡と思われる掘立柱建物・竪穴住居が確認されています。弥勒寺跡の東に隣接する弥勒寺東遺跡跡は、律令制下の武儀郡衙跡である。群庁院、正倉院、舘院、厨院など、郡衙を構成した全ての施設が把握できる全国的にも例にない遺跡です。
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国史跡・弥勒寺跡と官衙遺跡
弥勒寺跡は、金堂・塔・講堂 ・南門・南門に取り付く掘立柱塀の一部・僧坊や、造営に関わる工房跡と思われる掘立柱建物・竪穴住居が確認されています。弥勒寺跡の東に隣接する弥勒寺東遺跡跡は、律令制下の武儀郡衙跡である。群庁院、正倉院、舘院、厨院など、郡衙を構成した全ての施設が把握できる全国的にも例にない遺跡です。
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探訪経路
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弥勒寺官衙遺跡と池尻山
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正倉遺跡
正倉遺跡
正倉院は、税として徴収された米を蓄えておく倉(正倉)が集まる、役所の中でも重要な意味を持つ場所です。
東西約130m、南北約40mの溝で囲まれた東西に細長い範囲に総柱建物が整然と並んでいたと考えられる。発掘調査によって、炭化した米が大量に出土したとのこと。
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郡庁院
東西約50m×南北約60mの掘立柱塀で囲まれ、正殿と東西の脇殿を「品」字形に配置する建物群。この遺跡が発見される前は国府政庁でしかこの配置は確認されておらず郡衙の常識を覆す発見であったとのこと。
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郡庁院
東西約50m×南北約60mの掘立柱塀で囲まれ、正殿と東西の脇殿を「品」字形に配置する建物群。この遺跡が発見される前は国府政庁でしかこの配置は確認されておらず郡衙の常識を覆す発見であったとのこと。
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史跡・弥勒寺跡に
弥勒寺跡は、ムゲツ氏の氏寺に比定されている白鳳時代の寺院。丸山古窯跡(美濃市大矢田)とあわせて、国史跡「弥勒寺跡附丸山古窯跡」の指定を受けている。
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史跡・弥勒寺跡への道
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史跡・弥勒寺跡入り口の中門
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左に金堂跡
この寺院は、塔跡と金堂跡とが東西に並び、南に面している。塔跡の基壇は約11.5mの正方形で、中央に心基礎があり、ほかに4個の側柱礎石が残っている。
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金堂基壇境界
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右に塔跡
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塔跡礎石
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塔基壇境界
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講堂跡
講堂、経蔵、鐘楼、回廊、中門、南大門の位置も、堂塔の配置と出土した布目瓦などから白鳳時代(670年頃)の寺跡とされている。
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経蔵跡
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講堂廻廊基壇境界
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竹藪に道を円空の墓に向かう
金堂跡・講堂跡を通り竹ヤブを円空館方向に向かう。途中に尾根上に分岐があり右に折れて尾根を登り白山神社への分岐がありここを右に折れて登りあがる。
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尾根を登る
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円空の墓
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池尻山に向かう
尾根上の分岐を右に折れて灌木の中を登りあがる祠がある頂きに就く。灌木で見晴らしがない。
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祠のある頂き(110m)
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観音山に向かう
池尻山か円空館分岐まで戻り円空館を右に見て直進する。標差50mほど登りあがると観音山展望台に着く。
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最後はちょっと急になる
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観音山展望地
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観音山から長良川と松尾山を望む
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円空上人入定塚
円空上人が、荒廃にまかせてあった池尻の白鳳時代の寺院跡である弥勒寺っを訪れ、元禄二年(1689)にこの寺を再興し、同八年七月に死期を悟って自ら入定したと伝えられるのが、この入定塚です。